感応寺
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ごあいさつ
感応寺外観感応寺は、二代将軍秀忠公の代に「如法山清薫寺」の号を賜り開山した、400年あまりの歴史のあるお寺です。
関東大震災により本堂を失い、上馬の地で復興いたしました。

当寺では、葬儀・ご法要・永代供養・水子供養・お墓・厄除け各種祈願の他、ペット葬儀、供養等を行っております。
なお、会館を併設しておりますのでご法要後のお食事場所としてもお使いいただけます。

浄土宗感応寺
宗派 浄土宗
宗祖 法然上人
本山 総本山 知恩院 大本山 増上寺 他
住職 19世 成田淳教
住所 154-0011
東京都世田谷区上馬4−30−1地図
電話番号 03(5431)7676
FAX番号 03(5431)7577
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境内
境内配置図
本堂
堂内配置図大正13年に建立された本堂は木造五間四面宝形作り銅板葺屋根の御本堂です。

本堂正面須弥壇には、阿弥陀如来三尊像をお祀りしています。
関東大震災の火災から運び出された本尊で、史料が残されていない為作者年代共に不明です。観音菩薩、勢至菩薩の脇侍は平成15年に開眼いたしました。
向かって右脇壇には秘仏将軍地蔵尊、地蔵尊、不動明王が祀られています。将軍地蔵尊は徳川家康公によって祀られ秘仏とされたことから「将軍地蔵尊」と呼ばれるようになり、毎月24日(休月有)に御開帳されています。将軍地蔵大祭は毎年3月24日に行われております。
左脇壇には浄土宗の宗祖法然上人像をお祀りしています。

秘仏将軍地蔵尊厨子 浄土宗宗祖法然上人像

裏堂
裏堂 阿弥陀如来坐像感応寺本堂裏の裏堂では、墓地建立者の御遺骨の一時お預かり、位牌永代供養のお祀りをしております。裏堂には感応寺本尊と同じ阿弥陀如来さまをお祀りしております。

会館
感応寺会館は2階建てになっております。1階ホールは主に葬儀式場として使用されており、常設祭壇があり、小規模の家族葬から会葬者200名程度のお通夜やご葬儀に対応できるようになっております。
またペットのお葬式やご供養も会館式場にて執り行っております。
2階には集会室があり、ご法要後のお食事などにご使用いただけます。

1階ホール(収容着席定員50名)
1Fホール
2階集会室(収容着席定員48名)
2F集会室

永代供養塔

永代供養塔永代供養塔「感応寺結縁塔」は平成20年に墓地造成と共に建立いたしました。

核家族化に伴い後継者のいないご家族が増え、また個人的なお墓をお求めにならない方も増えてきたようです、感応寺では先々もしっかりとご供養する為に墓地造成と共に建立いたしました。

感応寺墓地
境内檀家墓地として平成20年に70区画を新規に造成しました。
永代使用の他、後継者のいらっしゃらない方は1代での使用も可能です。いろいろなご事情に合わせて、墓地の使用形態をご相談いただけます。ペットと一緒に眠るプラスペット墓地としての使用も可能です。

動物供養塔
動物供養塔家族として共に生活してきたペット達を埋葬する為の供養塔です。
動物供養塔では地下合同埋葬室にてペット達の御遺骨を散骨にてお納めいたします。地上個別埋葬棚ではお骨壺のまま御遺骨をお祀りしてご供養しています。


茶室
茶室御本堂と同じく関東大震災後に立てられた小間のお茶室です。にじり口もあり大変趣のあるお茶室になっております。

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感応寺の歴史

 秘仏延命将軍地蔵尊
このお地蔵様は恵心僧都源信の作で代々皇室に伝わり、後陽成天皇から豊臣秀吉公に下賜され「広く庶民に功徳を蒙らしめよ」との勅があったと伝えられております。
その後、徳川家康公に譲られ、江戸城で祀られたところ、たびたび霊験があったため家康公によって秘仏とされた事から「将軍地蔵尊」と呼ばれるようになりました。

清薫寺から感応寺へ

感応寺看板徳川二代将軍秀忠公の代に、牛島の離れ御殿を改め寺として清薫尼を住職とされ「如法山清薫寺」の号を賜った事が当寺の開創です。
その後、五代将軍綱吉公の生母桂昌院様が将軍の病悩平癒を当寺で祈願されたところ、たちまち平癒したため、お燈明料として御朱印地を賜り、この御縁で寺号を、桂昌院様のお父様である感応院様の2字を頂き、感応寺と改めました。

関東大震災での霊験そして上馬の地へ

大正12年、当寺は関東大震災による火災に見まわれ、当時の住職第17世平松誡厚法尼はお弟子方と共に、本尊阿弥陀如来、将軍地蔵尊象他の尊像を背負い、近隣の非難する人々と共に被服舎跡へと向かいました。
その途中、背後より「被服舎跡へは行くな、吾妻橋へ行け」との声が聞こえましたが、無我夢中で気に留める事もなく歩き続けると、足がしびれついに屈んだ時ふたたび「早く吾妻橋へ来よ」と聞こえ、吾妻橋へ向かい始めると足のしびれもなく、誰かの背に乗っているかのごとく吾妻橋を越え振り返ると、吾妻橋にも火が移り始めるところであったとのことです。
その後、誡厚法尼は、上馬引澤(現在の世田谷区上馬)に堂宇を建立し現在の通り再興されました。

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